教授 清水 透
研究領域 : 社会史(ラテンアメリカ社会史)
文献を中心にラテンアメリカ史を研究する中で、“肌で感じられる歴史学”になかなか出会えず、「誰のための歴史学なのか」「研究者の自己満足にとどまってはいないか」という疑問を抱くようになりました。そして、現場で一からやり直そうと思い立ち、メキシコ南部のインディオ(ラテンアメリカの先住民)の村に通い始めたのが1979年のこと。そこで出会ったのは、文明社会では理解できない「価値」でした。
文明社会の価値観からすれば、極貧のインディオたち。けれど彼らの暮らしには、文明社会が忘れてしまった知恵や豊かな人間関係が息づいていたのです。私は、先住民の暮らしが理想だと思っているわけではありません。むしろ、文明社会は大好きです。しかし近年、私たちの社会には行き詰まったかのような空気が漂い、その危機感を察しながらも、人々は行動することなく流されるままになっています。
インディオの一家族四世代の聞き書きなどを通じてさまざまな発見がありましたが、それを基に、「文明社会の価値基準とは何か」を逆照射するのが、私の研究の目的です。
着任する前、正直なところ「ラテンアメリカ史を専門とする私が、経済学部?」と驚きました。けれどそれは、経済学部のいいところの一つだったのです。伝統に支えられた格式を持ちつつも、経済学部という「核」にこだわらない度量の広さがある。そもそも文化を育むには、ある程度の無駄が必要なのですが、それを許せる「ゆとり」が経済学部にはあるのだと思います。
「ラテンアメリカ社会史」は必須科目ではありませんし、レポートを毎回提出する厳しい授業なのですが、毎年、100名近い学生が受講してくれました。前のめりになって話を聞いてくれる熱心な学生も少なくなく、私も自ずと熱が入りましたね。授業で使う写真をたった1枚選ぶときも、彼らの顔を思い浮かべながら真剣でしたよ。
学びたい人が集まり、教える側はそれに応えて、懸命に伝えていく。考えてみれば、これが「本来の大学のあり方」だと思うのです。いろいろなところで教えてきましたが、最後に「大学はこうあるべき」と私が望んだ通りのアカデミックな環境で教えることができ、とても幸福だと感じています。
どの大学、どの学部でも言えることですが、経済学部を選んだからと言って「経済を学びたい」とはっきりした目的を持っている学生ばかりではありません。だからこそ、1つの分野にがちがちになるのでなく、いろいろな可能性を試せる環境を用意すべきだと思うのですが、その点、慶應の経済学部の学生はとても恵まれています。経済学部でありながらそれ以外の専門を学ぶチャンスが、多様に用意されているからです。ちなみに、私のゼミの卒業生には、ジャーナリストになったり、歴史研究者の道を歩んだりと、経済学とは違う世界で活躍している人もたくさんいます。
多様な可能性が用意されているとはいえ、自分からつかみにいかなければ、可能性に挑むチャンスを生かすことはできません。チャンスを生かすには、大学生活の中で、「自分は何をやりたいのか」を見つけることです。与えられたことだけをただこなすのではなく、自発的に行動する中で、自らの「旅」を創ってみてください。それは、学問の旅でも、本当の旅でも、何でもいい。経済学部には、団体旅行ツアーにはない、あなたらしい旅創りをサポートする、環境と先生方がそろっているのですから。
(2008年10月22日取材)
※プロフィール・職位はインタビュー当時のものです。
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