教員インタビュー

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教授 高梨 和紘
研究領域 : 開発経済学

「疑ハザレバ」の視点から、
目標に到達する道が開けていく。

発展途上国がどうすれば豊かになるかを探求。

私が専攻している開発経済学は、経済成長論、経済発展論の分析手法を発展途上にある経済に適用し、その発展メカニズムを分析する研究分野です。また、開発経済学には政治学はもとより、社会学、心理学、宗教学や文化人類学、さらには保健、衛生分野の知識も必要とされ、この研究分野は「学際領域」にあると言うこともできます。あるいはまた、国際連合の諸機関や世界銀行、IMF等の国際金融機関はじめ、先進諸国政府による発展途上国向け貧困削減政策の策定、実施、評価にも大きく貢献しているという意味で、開発経済学は「実践的」研究分野でもあります。

私自身はここ数年間、アフリカとアジア数ヶ国を取上げ、小口融資の普及と伝統商品の生産、販売による農村貧困層の経済的自立を支援する、経済援助政策を研究しています。私が開発経済学の分野の魅力に引きつけられ、現地調査を始めてから、かれこれ30年が経ちました。1970年代当時のことを振り返ると、まず頭に浮かぶのは1974年に慶應義塾大学として初めてアフリカ経済調査隊を組織し、経済学部スタッフ4人と共に西アフリカではガーナ、ナイジェリア、東アフリカではケニア、タンザニアへ遠征したことです。ナイジェリアではカドナ滞在中にクーデターの混乱に巻き込まれ、食事や移動手段の確保、ルートの変更を余儀なくされたこと、またガーナではボルタ川上流にあるアコソンボ・ダム工事現場を訪問した際に、リバー・ブラインドネス(川の失明症)を媒介するツエツエ蝿に襲われ、17年後の発症を予告されたりしたことが懐かしく思い出されます。

このアフリカ遠征で、この地域の経済の停滞の背後には政治不安定の問題や、蚊、蝿に媒介される熱帯病対策の遅れがあって、その発展プロセス上の大きな障害となっていることを私自身、身をもって確かめることとなり、その時の体験が私のアフリカの貧困削減問題を考える原点になっています。

慎重な情報の選択と、想像力、思考力の鍛錬が大事。

慶應義塾大学では、四半世紀にわたって学生諸君と向き合ってきました。その間、色々なことを感じてきましたが、中には気掛かりなこともあります。それは今日の情報過多の状況の中で、塾生諸君を含む多くの学生は確実に博識にはなりましたが、情報の波に飲み込まれてしまい、特定の研究テーマを掌握し、それについてジックリ掘り下げて考える姿勢を失いかけているのではないかということです。

質の良い情報を揃え、それを材料に特定テーマについて想像を膨らませ、思考力を鍛えるためには、その妨げとなる雑情報を排除することが前提となります。このことを実践すること自体、容易なことではなさそうですが、効率良い自分流の情報選択の方法を知恵を絞って編み出すことは、現代を生きる学生諸君にとっては必須の要件です。このことをしっかり認識し、前進して欲しいものです。

まずは、通説の誤りを、「疑い」を持って見抜くこと。

迷いながらも真理を求めて前進する塾生にとって、福澤先生からのメッセージ「疑ハザレバ求メズ 求メザレバ得ズ」は、学問に取組む際の姿勢と勇気を与えてくれる尊い教えであると確信します。

ゼミナールでの研究テーマの設定や、大学生活の集大成とも言うべき卒業論文のテーマの決定において、「自分(達)はいったい何を考えている人間なのか」を自問自答して悩む時、この「疑ハザレバ……」の福澤先生の教えが救いとなるに違いありません。

研究テーマ掌握の手掛かりは、テーマを巡る俗説、通説を「疑い」をもって鋭く吟味することの中に見出せるはずです。そのことから生まれる学問的緊張感をバネにして、想像を巡らせ、独自の仮説を立て、それを証拠固めをすれば、その先に真理が見えてくる。このプロセスを実践することこそが、福澤先生が学ぶ者に示された学問に向う姿勢であり、塾生諸君にはこの姿勢を身に付けて自分らしいユニークな研究を進めることを期待します。

(2008年10月23日取材)

※プロフィール・職位はインタビュー当時のものです。

プロフィール

1967年
慶應義塾大学経済学部卒業
1971年
慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了
1974年
慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学
1972年
慶應義塾大学経済学部助手
1980年
慶應義塾大学経済学部助教授
1991年より現職

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