教員インタビュー

トップページ > 教員インタビュー > 中澤 敏明

教授 中澤 敏明
研究領域 : 産業組織論(経済と法)

アカデミックな環境の下、
いい意味で、競い、成長していける。

変化を続ける産業や企業を通じて生きた経済を学ぶ。

40余年間、私が研究を続けてきた産業組織論は、1930年代にハーバードで起きた学問です。経済を産業レベルで分析し、「市場構造」「市場行動」「市場成果」の3つを、またこれらの相互関係を主な研究対象としていました。市場観のまったく違う、シカゴ学派との討論の中から、競争の機能への多面的な視覚が誕生しました。経済の中心的存在である企業を対象としていることもあり、1970年代以降、ゲーム理論や数理経済学の手法を用いた「新しい産業組織論」が誕生するなど、ものすごい勢いで発展してきました。それだけに、生きた動態的経済を学べる領域とも言えるでしょう。

既存の学問が大きく発展すると、そこから新しい分野が独り立ちしてスピンアウトしていく例が少なくありませんが、産業組織論は、いろいろな研究の母体になっている学問でもあります。例えば、規制緩和の経済学は、かつて産業組織論に入っていましたし、コーポレートガバナンス(企業統治論)もまた、産業組織論が育んだ分野です。

私は長年、カリキュラムの中で産業組織論を教えてきましたが、経済学部で「経済と法」という講座を設けることにも奔走もしました。経済活動が変貌を遂げるのを目の当たりにし、経済学部生が法律を補完的に学ぶ必要性を感じたからです。従来の学問分野を超えての連携が高いレベルで実現できるのも、ディシプリンとしての経済学の力だと思います。

学びの場にふさわしいキャンパス。

ある脳科学者が「脳がアイデアをはじきだすには、それにふさわしい場所がある」と言っていました。昔は、馬上・枕上・厠上と言っていましたが、まさにその通りだと思っています。学問をするにも、人を囲う雰囲気がとても大事だと、このキャンパスに通いながら感じていました。

格調と落ち着きがある慶應のキャンパスには、アカデミックさがあるのです。長い歴史が育んできたものでしょうが、あえて分析すれば、これを創り出している施設の一つに、図書館があります。いまは情報センターといわれますが、慶應はどこにも負けない充実した施設を誇っています。とても充実しており、学生も教員を、学習や研究の信頼に応えています。

また施設ばかりではなく、年輪を重ねた木々もまた、慶應のキャンパスを語るときには欠かせないものでしょう。ちなみにキャンパス中央にそびえる大きな銀杏の木は、私が入学したころにも仰ぎ見た樹ですが、あの銀杏を見る度に、勉強で疲れた頭を癒した懐かしい日々を思い出すOBも少なくないでしょう。どっしりとたたずむイチョウの木も、アカデミックなキャンパスも、変わらずにそこにある。この変わらぬ良さを継承し育んでくれるのは、ほかならぬ、ここで学ぶ若人たちなのです。

日本の「経済学部」は慶應から始まった。

福澤諭吉先生が学祖であることは、何物にも変えがたい資産だと思います。福澤先生が中津藩の通訳だったころ、イギリスのチェンバースの経済学の本を翻訳したときのエピソードを知らない慶應生はいません。当時はまだ、英語に対応する日本語がなく、江戸から明治にかけて多くの術語が、先覚者によって、工夫された訳で、どういう人がいるかは歴史を学んだ学生は良く知っていますが、福澤先生も重要な貢献者です。スピーチを「演舌」と訳されたのも皆知っていることですが、「コンペティション」もその一つだったわけです。先生は、コンペティションを「競争」と訳したのですが、競い争うとは何事だと、上から言われた。それもそのはずです、儒教の精神が強く、「仁」が大事とされる時代ですから。それでも福澤先生は、自らの考えを曲げなかったどころか、「競争の良さ」を論じたと言います。なぜ競争がとがめられるのか。競争があるからこその発展だと。今の時代でさえ、競争を忌避する人も少なくないのにと、その卓見に舌を巻くのです。

産業組織論も競争を良しとする学問です。競い合うことができるから、人も産業も、発展し成長していける。そのことを、産業組織論を研究する中で痛感すればするほど、福澤先生の先見性に深い感銘を覚えるのです。

そして、経済学部の先駆けとなる「理財」という学部をつくったのも福澤先生でした。経済学部生なればこそ、福澤先生が学祖であることに誇りを持ち、競うことを恐れず、学び成長していくことを期待しています。

(2008年10月22日取材)

※プロフィール・職位はインタビュー当時のものです。

プロフィール

1972年 3月
慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学
1979年 5月
Ph.D.(Economics) University of Wisoconsin-Madison
1980年 4月
慶應義塾大学経済学部助教授
1989年 4月
慶應義塾大学経済学部教授
同大学院経済学研究科委員

ページトップに戻る