教員インタビュー

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専任講師 蔦木 能雄
研究領域 : 経済学説史、社会思想史

良き師、良き学問、良き時に恵まれ、研究者として幸福な時間を過ごせた。

未知の世界への誘いと学ぶ楽しみ、そして思い出に残ること。

社会主義思想、共産主義思想が、どのように日本に伝わって、どのように広まったのか。そして、日本の独自の文化として、どのようにして定着していったのか、そうしたテーマを研究してきました。ドイツの社会思想史からはじまって、日本の社会思想史へと転換しながら、研究を深めてきたのです。慶應義塾は、私にとって、学問を愛する心を培ってくれたところ、あるいは学問をすることの楽しさを教えてくれたところと言えます。

大学院に進み、指導教授である平井新先生から第2外国語は何だったのかと訊ねられ、ドイツ語ですと答えると、これを読んでみてとドイツ語の『共産党宣言』を渡されました。共産主義、社会主義との初めての出会いでした。知らないことばかり、だから学ぶ、すると楽しくなる。私にとっては未知の世界でしたから、研究テーマと真剣に向き合って知識を積み上げていきました。そのうち先生に褒められたりすると舞い上がり、さらに勉強していく、そんな繰り返しだったように思います。

思い出に残っているのは確か、1973年、助手になった年でした。アダム・スミスの生誕250周年に当たる年で、大学でも何か催しをやろうということになりました。慶應義塾には『諸国民の富』等の原本があるのですが、それを並べるだけでは面白くないということになり、平井先生に相談したところ、アダム・スミス直筆の手紙を所蔵されている竹内謙二先生を紹介して下さいました。その手紙を借りるため、竹内先生のお宅へ伺ったことを憶えています。何分、世界に一通しかない貴重な手紙ですから、周囲の皆さんからは、無くしたら切腹ものだと冷やかされたものでした。

40年間、研究テーマに一貫して取り組めた。

ドイツ社会思想史から日本社会思想史に転換したのが、1990年でした。これもたまたま、慶應義塾大学部創設100周年に当たる年で、先人の業績を発掘調査しようということになり、そして、矢野龍渓に巡り合う機会を得たのです。彼は日本人最初の総合的理想社会主義論を著わした人物です。この出会いから、私は矢野龍渓とその著作『新社会』を中心とする研究に携わるようになりました。運よく1991年10月に『新社会』に関する論文を発表できたのですが、12月にはソ連邦が解体するなどして、社会主義の問題が改めて問い直される時期を迎えたのです。こうして振り返ると、先生方との出会いや書物との出会いなど、奇縁というものを感じます。

このような調子で『共産党宣言』の成立史研究以来40年間一貫した研究テーマに取り組むことができました。もちろん、その間には紆余曲折はありましたが、一つのことをやり通したという喜びは非常に大きなものがあります。慶應義塾には研究における自由の風土があります。福澤諭吉の建学の精神は確かに今も脈々と受け継がれていると思います。また、慶應義塾創立150周年という節目を迎えて、私はもう一度研究テーマの原点に帰り、学問・研究に励みたいと考えています。さらに研究テーマを軸にしながら世界の中の日本、アジアの中の日本、東西文明の問題など、現代的課題に取り組みたいと思います。

福澤諭吉が未来へ託した、「進歩への確信」を忘れないようにして欲しい。

ややもすると、「時代閉塞の状況」のような風潮が広がってギスギスした感じがする社会になっています。これは人の幸福を素直に喜べない傾向が社会に蔓延しているからではないでしょうか。

ところで、福澤諭吉の『学問のすゝめ』には、十三編「怨望の人間に害あるを論ず」というのがあります。この編は『学問のすゝめ』全体が明るい未来への確信に溢れているのに対して奇妙な陰影を伴っています。なぜ福沢が人間の心に宿る暗い部分をあえて取り上げたのか不思議に思うことがありますが、そこには、未来を担う若い人たちに常にオープンマインドであってほしい、そして正々堂々と所信を論じてほしいという願いが込められているような気がします。

私が良い先生、良い学問、良い時に恵まれて定年を迎えることができるのも、慶應義塾の自由で寛容な精神に触れたからだと考えています。それでも実を言うと、1980年前後の時期には、東欧社会主義体制のネガティブな面がクローズアップされたり、あるいはソ連のアフガニスタン侵攻などがあって、私自身も共産主義、社会主義という自らの研究テーマに疑問を持ち始め精神的に大変苦しい時期がありました。その時の私は「人類の幸福実現」に疑心暗鬼が生じたのも事実なのです。そして、深刻な精神的挫折を体験することになったのですが、それから立ち直ることができました。勤続36年に及ぶ私の研究者生活を振り返ると、自由な空気の中で本当に幸せな時間を過ごすことができたと思います。

最後に、これから次代の慶應義塾を担っていく皆さんへのメッセージとして訴えたいのは、「福澤諭吉が未来に託した進歩への確信を持ち続けてほしい」ということです。

(2009年12月17日取材)

※プロフィール・職位はインタビュー当時のものです。

プロフィール

1973年
慶應義塾大学経済学部助手
1995年
慶應義塾大学経済学部専任講師

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