経済問題メーリングリスト

著作権 vs フリーソフト

問題設定

知的財産は個人の所有に帰するべきか、それとも共有すべきなのだろうか。 おそらく回答は「場合によりけり」であろう。世の中のたいていの問題に対する回答が黒か白かのいずれかに割り切れるのではなく、グレーゾーン(悪い意味ではない)にあるのと同じである。しかし、ただ『場合によりけり」と答えるだけでは、正しい答えであっても実用にはならない答えのままである。どのような場合にフリーソフトが望ましく、どのような場合には独占でよいのだろうか。場合わけをきちんとするための議論を展開することにした。

この問題を考えるときに、次のような構造を最初に念頭におかなければいけない。

目的: 社会全体の利益を最大にするような制度を作りたい
ただし、次の制約を考慮しなければならない。
資源制約: 資源には限りがある。限りある資源の範囲内で可能な制度を考えるしかない。
誘引両立性: 自由主義・民主主義の世の中では、個人の行動を無理やり縛ることはむずかしい。個別の個人の利潤動機、利益追及動機と両立するような制度でなければ実効性がない。

社会問題を議論するときには、常に目的が何であるか、その目的を達成する上での制約条件が何であるかを明らかにすべきことが、この構造から読み取るべきことである。 (このような構造のことを経済問題と呼ぶ。)そこで、フリーソフト、著作権の問題について考える場合にも、(1) 議論の対象になっていることが制約条件の範囲内にあるのか、(2) 目的を達成する制度設計をしているか、という2つの区別した問題を順に考える必要がある。

今回の議論の期間では、この構造全体を展望することはできなかった。(1)の問題のうち、誘引両立性の問題にほぼ議論が集中した。しかも、その議論もオープン・ソースの是非に集中し、それすら完結したわけではない。多くの課題が次回のNPOに関する議論に残すことになった。以下、その点について説明したい。

なお、資源制約の問題は今回のテーマでは重要度が低いと判断し、無視することにする。

知的所有権(無体財産権)に関する用語をまず確認しておきたい。

著作権  
工業所有権
  • 特許権
  • 実用新案権
  • 意匠権
  • 商標権
その他 不正競争防止法など
ここで著作権は
  1. 思想または感情を表現したもの
  2. 文芸,学術,美術又は音楽の範囲
  3. 工業製品は除く
という性質をもっており、特許権とは基本的に重なりがないものとされている。しかし、コンピュータ・ソフトの普及によって、著作権、特許権のどちらで所有権を保護するのか境界が曖昧になっていることもあり、この2つの区別については慎重に議論を積み重ねる必要がある。 今回のメーリングリストの議論では、知的所有権の概念を細かく分類することは重要ではなく、

所有権=対象物(無形のものを含む)を自由に処分する権利

とだけ漠然ととらえ、その権利が開発者に独占的に帰属すべきなのか否かという問題に集中することにした。具体的には、次の2つの立場のいずれを真と考えるかを問題にした。

  1. 知的所有権を開発者個人に帰属させることは、開発者個人の金銭的利益を保証することにつながるので、創作意欲を刺激すると考える。著作権、特許権を厳格に守る社会にするべきである。

  2. 知的所有権を個人が独占することは、知識の外部効果を抑圧することにつながるので、社会全体としては好ましいことではない。知識は公共財として自由に誰にでも利用できるようにするべきである。

最近のマスコミの論調は第1の立場に傾いているのではないだろうか。著作権、特許権による法的保護を重視するべきであり、違法なコピーを取り締まることに疑いをもたない考えが支配的である。

しかし、マスコミであまり取り上げられることはないが、現実には第2の立場からの情報発信もたくさんある。 代表的なものはGNUプロジェクトであり、その中心にあるLINUXの開発である。 このプロジェクトのウェブサイト では、知的財産に所有者がいてはならない理由を激越な調子で主張しており、実際に基本OSであるLINUXをはじめ、各種のコンピュータ・ソフトをフリーソフトの形で提供している。 今回のメーリングリストの議論は、フリーソフト、およびそれを支えるオープン・ソースの思想に集中した。

フリーソフト

まず「フリーソフト」について漠然としたイメージをメンバーに問うたところ、次のような回答がでた。 それでは、仮に「無料ソフト」という理解が正しいとして、なぜ無料で知的財産が配布されるのかということである。この問いかけに対する考えとして次のようなものがでてきた。
開発の目的 特徴
作者の善意・ホビー
  • アフターフォローはおおむね期待できない。
  • 改変や再配布の権利は作者にあるが、それすら放棄したものも
短期的には無料だが、長期的には金銭目的
  • 企業PRゆえ無料配布
  • 関連製品と事実上抱合せ
  • 製品版の機能を限定し(保存機能無しなど)、 使用期限がない場合もあるが業界標準の奪取が目的。

この分類は、金銭が目的かどうかということが本質的な分類基準になっている。 誘引両立性に注目しながら、開発者個人にとってフリーソフトを提供することに意味があることを示していると言いかえることもできる。開発者がフリーソフトを提供するのは、短期的にはともかく長期的には金銭的報酬を得るためか、あるいは純粋に善意によるという分類である。

このような個人行動をどのように理解することができるだろうか。 さきほど社会全体の問題を経済問題として記述したのと同様に、個別の開発者の行動も次のような経済問題として記述できる。

目的: 自分の目的を最大にするような行動をとりたい
ただし、次の制約を考慮しなければならない。
予算制約: 自分のもっている予算には限りがある。限りある予算の範囲内で可能な選択をするしかない。
ゲームの構造: 個人は孤立して経済活動をするわけではなく、自分の行動によってまわりの個人がどう反応するかも考慮しながら行動する必要がある。

このように問題を記述するとしたときに、人によって行動パターンが異なる原因は

の3つのいずれかに帰することになる。上でおこなった分類は目的のちがい(趣味か金銭的利益か)に着目したものと理解できる。 結果としてフリーソフトという選択をするとしても、元々の目的は別ということもありうるという指摘である。

それでは、予算制約、ゲームの構造のちがいからフリーソフトの提供を説明できるのだろうか。次にその問題を考えよう。予算制約のちがいからの説明は議論の対象にならなかったので、ゲームの構造という制度面からの説明に焦点を絞ろう。この議論はオープン・ソースについて議論する形でおこなった。

オープン・ソース

オープン・ソース運動とは、開発段階で、開発中の製品の仕様と公開しようという考えである。
フリーソフトとオープン・ソースの関係 フリーソフトとは次の4つの条件を満足するものだと定義されています。 (http://www.gnu.org/philosophy/free-sw.ja.html)

第0の自由 目的を問わずプログラムを実行できる
第1の自由 ソースコードの改変の自由
第2の自由 コピー再配布の自由
第3の自由 プログラム改良点の公表の自由

経済問題について考えるとき、もっとも重要なのは「第2の自由」です。 これは、いくら複製を作って配ってもお金を払う必要がないこともあることを 意味しています。

しかし、ややこしいことに、有償でコピーを配る自由もあることも意味して います。要するに、フリーソフトのフリーとは、「自由」という意味であって 無料ということではありません。上記GNUのサイトでは、「自由(な)ソフト」 という表現を推奨しています。

「第1の自由」と「第3の自由」のためにはオープン・ソースである必要が あるので、フリーソフトであればオープン・ソースですが、オープン・ソース だからといってフリーソフトではありません。「第2の自由」を否定する オープンソースもありうるからです。要するに

フリーソフト = オープン・ソース + 第2の自由
         (第1,3の自由)
ということです。第2の自由は、もうけを否定するケースも含むし、現実には 多くの場合、無料を意味するので、前の投稿でボランティア的要素という表現を つかいました。
自分が開発している製品の仕様を公開することは、「他人に自分の発明が利用されてしまう:というネガティブな効果もあるが、それと同時に「他人から改良点を指摘されることでよりよい製品を作れる」というポジティブな効果もある。

ポジティブな効果とネガティブな効果のいずれが大きいかでオープン・ソースにするか否かの決定をすることになる。この点を明確に理解するためには、開発段階での利益と販売段階での利益とを分離して考察することが有用になる。

ソフト開発の問題に限らず、一般に生産の問題は次の2つの段階を区別して議論することができる。

開発過程
(効率化)
販売
(利潤最大化)

すなわち、企業の生産活動は大きく二段階に区別することができる。 第一段階は開発段階であり、そこでの目的は効率化=生産のための費用最小化である。 一方、第二段階では製品を販売することによる利潤最大化を目的にする。 もちろん、二つの段階は関連する。たとえば、経済学の教科書では次のような 説明をしているものが多い。

第一段階 費用最小化問題を解き、効率的な生産方式から得られる費用を計算する関係(費用関数)を求める
第二段階 費用関数があたえられたものとして、利潤を最大にする費用と売上のパターンを決める。

この分類からわかることは、何かを生産するときに、最終的な販売の局面と、開発段階とは、(それらが密接に関係することは認めるとしても、)区別して議論することができる点である。

さらに、第三段階としてメンテナンス段階を追加することもできる。 コンピュータ・ソフトに関しては、販売するときのもうけよりも、保守管理・メンテナンスによるもうけの方が大きい点に注目する必要がある。オープン・ソース化することによって販売面でのもうけが小さくなったとしても(要するにフリーライダーがいたとしても)、ソフトというのはただ買えば自動的に使えるものではなく、絶えざるメンテナンスが必要になるので、結局は開発者のもうけが確保できる。 これは、製品を高く売り、メンテナンスを無料でおこなう伝統的商法が企業にとっては非合理的になっていることを意味する。逆にいえば、製品は高く売れなくてもいいけれど、メンテナンスでもうけがでればいいということになる。

ますます販売段階での利益を考えるよりも、開発段階での効率性を重視する必要がわかる。

とくにコンピュータ・ソフトの開発の場合、ハッカーたちによって公開された仕様の改良がおこなわれる側面がある。ここで「ハッカ」ーとは、公開性の強いソフトには友好的で改善点を指摘し、改良に貢献するが、閉鎖的な独占企業には反抗的な行動をとる(しかも当然ではあるがソフト開発のノウハウをもっている)一群の人々を指す言葉としてつかわれている。このような人々が存在することによって、一部の開発者が頭を絞るよりも、多数が集まってよりよいものを開発する可能性が生まれる。三人寄れば文殊の知恵という発想である。

ハッカーがいることによる開発の促進
ハッカーの行動

(1)独占者に対しては独占者の利益を阻害する行動をとる。
(2)仕様を公開している者に対してはソフトの改善に無料(ないし低価格で)貢献する

ハッカー集団全体についての法則(デルファイ効果)

(3)能力にばらつきがあるならば、その集団からランダムに一人を選ぶよりも、集団全体に問題を提起した方がよりよい解決策が見つかる。

(1)(2)(3)の条件下では、企業がソフト開発をするときに

               ハッカーの反応 開発者集団の能力
独占的な開発          敵対的      小
オープン・ソースによる開発   好意的      大

となります。

このような意味でのハッカーの存在はコンピュータ・ソフトの世界に 限らず、あらゆる創造物にもあてはまるような気がするのですが、 いかがでしょう。ここでのハッカーという言葉は、ユーザーと言い換えて もいいです。そう言い換えると、ますますコンピュータ・ソフトの 話に限らないと感じます。



この考え方をささえる傍証のようなものとして、最近のナレッジマネジメントの傾向を指摘する投稿もあった。情報はストックにするためのものではなく、フローとして交換することによって価値が生まれるとの指摘は、情報を囲い込むことで独占的利益を得られるという発想に対立するものと考えることができる。

もっとも、仕様の公開の有利性を主張するからといって、それを無料でおこなうことまで主張することには直結しない。たとえば、特許権の制度は、開発者利益を保護する制度としてだけでなく、パブリックなナレッジデータベースと理解することもできるという指摘があった。この指摘はもっともである。特許の書類に「権利の範囲を記載する部分」に加えて「具体的な実施例」を記載するようになっていることで、どのような応用が可能かを誰もが知ることができるようになっていることが特許制度の本質と理解することもできる。

著作物が公開された途端に発生する「著作権」と、申請手続きが必要な特許権とのちがいについてまで十分に議論を深めることができなかったので、オープン・ソースの経済的利益については、議論がすすまなかった。

むしろ、メーリングリストのメンバーが注目したのは、オープン・ソース運動の精神的な側面だった。フリーソフト、オープン・ソースから受けるイメージを問うたときに次のような反応があったことが、それを物語る。

  1. 基本設計を公開し、多くの人々が参加し発展。公共財的?
  2. 開発コストは誰が払っているのか?実は決して安くはない..。
  3. 費用回収を意図しない、自発的理念連合の色彩が強い
  4. ただし企業参加も自由で、サービスを有償化することもOK
  5. 反大企業的な理念が、分散型開発とあいあまって好走
  6. マニア的要素があり、一般化の足かせに
  7. ある目的のために、有用なソフトウェアを探してみたが見つからな かったり、使い勝手が良くなかったので自作してしまった。
  8. プログラミングの練習のために作成した。
  9. 自作ソフトウェアの欠点を修正しながら、別の良質なソフトウェアが できた(若しくはシェアウェア化を念頭に置いて意図的に作った)。
  10. 本来は、有料であるシェアウェアを使って欲しいのだが、PRの意味 を込めて幾つかの機能を制限したフリー版を作成した。
最初にあるいくつかの論点以外は、理念を強調するものか、マニア的な側面を見るものだった。

これらの論点は、 開発段階での開発者の目的には、 生産の効率性とはちがう論理がはたらく可能性もあることを示唆する。 たとえば、反大企業的な色彩の強さを強調する場合には、開発の動機は 金銭というよりも単に大きなものに対する反骨精神、挑戦心であると 想定されているようである。これら諸点について、いま少し整理をすすめる 必要があると思われる。

オープン・ソースのコスト

オープンソースのほうが効率的で、かつ社会全体に効用をもたらすような 成功例がことを認めた上で、社会全体が蒙るコストして次のようなものがあるという指摘があった。 オープン・ソースという言葉からは、何となく、共有→等しく平等、「船頭多くして船進まず」という連想を働かせてしまうものだが、決してそんなことはないという判断が前提になっている。オープン・ソースにすることによって多くの人々が開発に参加するといっても、必ずリーダー的な存在が全体を統率し、その統率から脱落する者もでてくる。脱落者が被ったコストは、省みられないものだが、機会費用で考えたら(つまりオープンソースに関わってムダに使った時間を、もっと他のことに利用できたとしたら)、個人的にも社会的にも、もっと実りのある生産ができたのではないか、裏を返せばオープンソースに関わったことで、ものすごいロスが発生してたりしていないのか、という疑問が生まれる。 この点は次回テーマであるNPOについて考えるときにも大きな課題であろう。

なぜ著作権を主張するのか

さて、ここで「著作権」とは何かという問題も出てくる。おそらく 一般にある「著作権」のイメージは、知的生産物で金銭的なもうけを得るための 概念ではないだろうか。ところが、フリーソフト派が重視する「著作権」は 「自分の発明品によって他人が特権的な利益を得ることを排除するための 著作権」である。通常の場合は、自分の利益の確保のために著作権を主張するの だろうが、フリーソフトの提供者の発想はちがう。 自分で利益を得ようとは考えていないことが多い。

他人が自分の発明物で利益を得ることに無頓着なケースもあるかもしれないが、その場合にも、発明がさらに発展することを抑圧するような情報の囲い込みには否定的な態度をとる。大げさな言い方をすれば、 人類の知的生産性を確保するための平等性の維持に気を配っているということである。

おわりに

ここで最初の問題設定を振り返ってみたい。オープン・ソース、あるいはフリーソフト化をすすめることが、社会全体の利益から判断していいことか悪いことかが問題になっていた。この問題設定での判断基準は「社会全体の利益」である。それに対して、企業の利益のことを考えればオープン・ソース化はナンセンスだという反論が相継いだ。社会全体の利益からオープン・ソースを主張する立場と、個別企業の利益を考え、オープン・ソース化の非現実性を主張する立場とを織り合わせるのが、誘引両立性に関する議論である。 このような議論の構造が十分に浸透しないまま議論期間が終わってしまった感がある。

もう一つ、徹底ができなかった点は、オープン・ソースがよいか悪いか単純な白黒をつけようとしていたわけではない点である。たとえば、情報公開の利点を説く論者も、 なんでもかんでも情報公開がいいと主張する意見を言っていたわけではなく、企業(個別主体)にとってオープン・ソース化をした方が利潤追求に適う場合もあることを指摘するだけだった。生きるか死ぬかが問題になるからこそ、固定観念にとらわれずにオープン・ソース化をした方がいい場合もあるという主張である。情報をオープンにするか、クローズにするかは、個別企業にとっての誘引両立性と、社会全体の目的との2つに照らして判断しなければならない。製品開発はとにかく情報を秘匿する形ですすめるべきだという従来の固定観念も偏狭だが、それと同時に、どんな場合も情報公開がよいと主張することも偏狭なのである。では、どのような議論をすれば情報を公開すべきか否かを判断できるかを整理するのが今回の議論の目的だった。

時間が足りずに、本来の判断基準である社会の利益にまで議論がすすまなかった。 開発対象になっているものの性質によっても、オープン化による利益は変わるだろう。 たとえばOSのような基本ソフトやブラウザのような 誰でも必要とするものと、特定の産業でしかつかわないソフトとでは社会的利益 がまったくちがう。 下の表の(a)(b)(c)にどのような大きさが入るかで話は変わるはずである。 社会の利益=公益と理解し、どのような事業では公益が大きいのか、その事業を 利潤の追求抜きに支えることができる組織が存在可能か、その財源はいかなる形で保証できるか、といった問題について、次回のテーマに持ち越しとしたい。

  開発利益 社会の利益
クローズな開発+著作権による保護 (a)
オープンな開発+著作権による保護 場合によりけり (b)
オープンな開発+利益の放棄 ゼロ (c)

(論理的にはクローズな開発+利益の放棄という可能性もあるが、これに ついては無視してよいだろう。)


今回の議論だけでは体系的な理解はできなかった。興味深い論点なので、いずれもう一度このテーマでの議論をしたいと考えている。


メーリングリストのページへ