教員インタビュー

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教授 渡邊 幸男
研究領域 : 中小企業論、工業経済論(日本と中国を中心に)

慶應義塾での幸運

経済学部の基本科目、工業経済論を担当し、今年度で30年になる。その間、留学等で何年か休んだが、ほぼ一貫して講義してきた。春学期、戦後日本の工業を題材に、工業をどのように数量的に把握できるか、統計の読み方等を含め紹介する。秋学期は、工業構造を考える際に重要ないくつかを論点として取上げ、この講義内容は私の研究テーマと大きく重なる。

第1のテーマは、規模の経済性の作用下で、大小様々な多数の企業の社会的分業があるのは何故かである。第2は、下請系列的取引関係を中心に、企業間取引関係の意味である。第3は、産業集積の重要性とその意味の検討であり、最後は、現代のグローバル化を、日本工業の東アジア化を通して論じている。

これらのテーマは、現代の工業の経済学的把握に欠かせないものであり、同時に、院生・助手時代から私自身が取組んできた実態研究テーマと大きく重なる。講義では、自身の研究成果を中心に、他の研究者の成果も加え、ある意味、好きなように話し、私の著作のプリントを配布し、一層理解してもらう形をとってきた。

ただ、このような研究テーマの選択と中小企業実態調査研究の展開は、当初から意図したことではなかった。慶應義塾絡みの幸運に恵まれ、工業経済・中小企業論の主要テーマを実態的に研究し、講義のネタに使うことが可能となった。

父親の中小企業経営との関連で、中小企業問題に関心を持ち伊東岱吉研究会に入り、伊東教授の指導下での20歳代のほとんどは既存研究の学習であり、大きく動いていた実態とはかけ離れていた。

第1の幸運は、商学部の佐藤芳雄教授がバークレーの留学から帰国し、実態調査の機会を見つけられずにいた院生を、東京都の零細企業実態調査に引っ張り出してくれたことであった。私は関心を持っていた東京の機械工業の町工場を一夏で50軒余訪問する機会を得た。これが本格的な実態調査研究の出発点、上記の講義テーマ等を見る視座獲得の契機となった。

実態調査研究に取組み始め、大きな研究成果もなかった私が、経済学部の助手に採用されたのが、第2の幸運である。給与をもらいながら院生時代とほぼ同様に過ごせた助手の6年間は、様々なプロジェクトで京浜地域を中心に機械工業中小零細企業の実態調査研究に明け暮れる幸運をもたらした。

日本各地の産業集積を機械工業中心に見る中、1990年代に入ると、中小企業を含め日系企業の海外進出が活発になってきたのを実感し始めた。最初の単著で進出先については見もせず、日系中小企業の「東アジア化」について論じた。

ここで、またもや、次の幸運に慶應義塾絡みで出会った。1999年に始まった3E研究院がそれである。中国清華大学と慶應義塾大学とが中心となり、エネルギー・環境・ 経済の3テーマで、中国について共同研究する大プロジェクトである。経済の中の中国中小企業政策研究の日本側主査が、諸般の事情で、幸運にも私にまわってきた。既に10年余が経過したが、今や、中国産業について論文を書き、中国語を五十の手習いで学習するというはまりようである。この中国研究を通し、進出先の状況、そこでの産業のあり方と日系中小企業の位置と可能性、これらが見えてきた。

慶應義塾が絡む幸運を生かし、それを学生に講義で還元する。大変よくできた話である。問題は、還元する能力、講義能力である。助手に採用された時に、先輩教授から「講義の時には、いつもの君の早口を直すべき」と指摘された。しかし、残念ながら、早口でまくし立てる講義のままである。

私自身は幸運に恵まれ、私なりに中小企業研究の成果をあげ、工業経済論の講義に還元したが、その幸運のお裾分けを、学生がどこまで享受しえたかは不明である。学生諸君には、各教授の講義を叩き台に、自ら関心を持った研究テーマを探り出し、経済学の対象に直接踏み込み、自分の頭で考えることを求めたい。その叩き台のごく一部くらいは、講義を通して還元しえたのではないか。

(2012年11月取材)

※プロフィール・職位は取材当時のものです。

プロフィール

1970年
慶應義塾大学経済学部卒業
1972年
慶應義塾大学経済学研究科修士課程修了
1977年
慶應義塾大学経済学研究科博士課程単位取得退学
1977年
慶應義塾大学経済学部助手
1983年
慶應義塾大学経済学部助教授
1990年
慶應義塾大学経済学部教授
1998年
慶應義塾賞受賞
1999年
博士(経済学)(慶應義塾大学)
2004〜2007年
日本中小企業学会会長

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