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教授 鈴木 五郎
研究領域 : シェイクスピア

Humanism, Humility and Humour

専ら英語セミナー の中級と上級を経済学部で担当してきましたが、一貫してシェイクスピアの作品を通して異文化コミュニケーションの有り様を模索してきました。言語の奥に潜むこころ(心)は実態があるように見えますが、実際は無きに等しいとも言えます。それだけに捕らえ所が無く、また一筋縄では立ち行かないもどかしさに苛立ちを覚えることさえありますが、だからこそ逆にこころが姿・形をもって見えてきた時には、人は言葉では表現できないほど深く感動するのです。戯曲のもつ魅力もそんなところに見いだせるのかも知れません。台詞がリアリティをもって真に迫ってきた時には、その台詞は忘れることのできないものとなり、いつまでも記憶の中に刻み込まれます。

以下の記述は英語セミナーを担当する上での基本的姿勢を示すものであり、その精神的支柱を意味しています。

歴史的にも国際的にも英語(the English language)の最も優れた理解者であり実践家でもあるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)の戯曲作品を通して、今日の国際語である英語に対する我々自身の理解と鑑賞能力、並びに運用能力を高めようとするささやかな試み("a tender attempt")が、担当英語セミナー(English Seminars)の主たる目的であることを先ず明記しておきたい。

21世紀というダイナミックな新世紀を生き抜くために現在我々に最も要求されている資質(human qualities)は何かというと、それは各々のセミナー受講生である塾生が最高学府である大学教育を通して身に付けなければならないところのhumanism、humility、そしてhumourに収斂されるところの資質ではないだろうか。すなわち、ヒューマニズムに満ち溢れ、謙遜の美徳を兼ね備え、さらにユーモアのセンスを身に付けた懐の奥深い人間味溢れた人間に自らを陶冶(cultivate)することがこの上なく求められているのである。これらの資質を身に付けるべく教室という「道場(the intellectual arena)」でお互いに切磋琢磨し、知的刺激と興奮を分かち合い、共に豊かな知性と教養を身に付けるべく最大限の努力と実力を遺憾なく発揮することこそが、本セミナーの核心部分を形成する哲学であり、且つ本セミナーが究極的に志向するところの学習到達目標であると言っても過言ではあるまい。そして、それらの資質の鑑および体現者として、ルネッサンス時代における代表的劇作家(dramatist) であり思想家( thinker of a great insight and vision towards social reformation)であるウィリアム・シェイクスピアの登場を敢えて要請したということを強調しておきたい。

「道場」での主眼は、シェイクスピアの作品解釈と作品鑑賞を通して異文化理解(intercultural understanding)を深めると同時に、異文化コミュ二ケーション(intercultural communication)を可能なものとすることに置かれている。より具体的には、シェイクスピアの作品を註(Notes)を羅針盤としながら丹念に読み進めること(本作業はセミナーに先行するものとする)により、例えばHamletを取り巻く権謀術数に満ちたエルシノア城内の過酷な現実やデンマークの外交および政治、占星術(astrology)、宗教論争をも孕んだルネッサンスの時代思潮などの幅広い領域に思いを馳せることによって、歴史・社会・思想・神学・哲学・言語などの領域を内包した所謂文化的包括的文脈の中で登場人物の台詞を解釈および理解するように努めることが求められよう。
また、シェイクスピアの自由奔放で躍動的な劇的想像力(dramatic imagination)から生み出されるところの登場人物の台詞(具体的には "high poetry" と表現すべきであろう)の内実に迫り、それぞれの登場人物が織りなすところの複雑且つ微妙な人間模様を体験することによって、シェイクスピア的言語空間や演劇空間、地中海沿岸の国々をも優に網羅する地理空間、プトレマイオス体系が象徴するところの天動説からコペルニクス体系が象徴するところの地動説への重大な転換点をも画する宇宙空間などを自由に飛翔することが求められよう。

昨今の慌ただしい時世および目まぐるしい時勢の変化のなかにあってじっくりと古典と向き合う、所謂「温故知新」
("It is by studying the past that we know the present.")の姿勢がどれほど重要且つ大切なものであるのかは、敢えてここで声高に強調する必要は毛頭ないであろう。逆説めいてはいるものの、古典へ没頭することによってかえって、現代に生きる我々自身の複雑な思想や感情、心情や心理などといった目に見えないところの内面の実体と、真摯に向き合うことが可能となるからである。換言すれば、他ならぬ赤裸々な自分自身との対峙によって、自らを表現するためのより適切で豊かな語彙や発想、イメージなどを増幅・拡散させることが可能となるからである。すなわち、自己発見の過程こそが、みづからの感受性や言語感覚を磨く源泉に他ならないと言えよう。

本英語セミナーの受講生は、異文化コミュニケーションに多大の関心と興味を抱くばかりでなく、英語が「飯よりも好き」という積極的な塾生であることを切に念願する。特に近い将来、英米加豪などの大学や大学院、研究所などに短期乃至は長期留学を計画・希望する所謂「国際派(internationally-minded)」の塾生には、本セミナーの受講を殊更強く勧めたい。

最後に、もう一言付言して締め括りたい。外国語学習(英語)の究極にあるものをひたすら求め続けて来た結果、ShakespeareとHoly Bible、岡倉天心、鈴木大拙、新渡戸稲造などが見えてきた。絶対矛盾の自己同一を説いた西田幾多郎も然り。西洋と東洋の歴史的出会い(the mutual encounter of East and West)、対立 (conflict) と葛藤 (discord)、そして許し(forgiveness)と和解(reconciliation)に至る過程の中で、異文化相互理解に対する
寛容の精神 (a spirit of tolerance; forbearance; broadmindedness) が徐々に育まれ、とりわけ異質なものに対する寛大さと大らかさが生まれるようになった。自己再生(rebirth of self;self-refashioning)の物語こそが、外国語学習が究極的に志向するところのドラマなのではないだろうか。

以上が英語セミナー担当における精神的拠り所であり、本セミナーの受講生である塾生にこの息吹を幾分なりとも感じとってもらえることができたのであれば、これに勝る喜びはないものと言えます。

高校三年生の時に三田西校舎で英語の演説を行ったのが慶應義塾との最初の出会いでした。かれこれ半世紀近くも前のことでした。その後英語の教員として30年以上に亘って美しい日吉キャンパスで教鞭を執って参りました。世界遺産に登録された富士山は今はすっかり冬化粧をしていますが、その雄々しい姿からどれほどインスピレーションを得たか計り知れません。

(2013年12月取材)

※プロフィール・職位は取材当時のものです。

プロフィール

1972年
ホープカレッジ教養学部卒業
1975年
上智大学大学院文学研究科英米文学修士課程修了
1976年
バーミンガム大学付属シェイクスピア研究所修士課程修了
1977年
上智大学一般外国語講師
1980年
慶應義塾大学経済学部助手
1985年
慶應義塾大学大学院文学研究科英文学博士課程単位取得退学
1986年
慶應義塾大学経済学部助教授
1994年
慶應義塾大学経済学部教授

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