慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科 タイトルロゴ - HOMEへリンクKeio University  Faculty of Economics, Graduate School of Economics Title LOGO - Link to HOME
慶應義塾大学 経済研究所 Webサイトへリンク
Menu

HOME > 慶應経済について > 教員インタビュー > 前多 康男

教員インタビュー
前多 康男 写真1

教授 前多 康男
マクロ経済学,金融論,ファイナンス

ミネソタ大学への留学

経済学部での教員生活の思い出について

1982年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、慶應義塾大学経済学研究科の修士課程に進学しました。当時、私はマクロ経済学と計量経済学を学んでおり、特にマクロ経済学では合理的期待仮説という新しい考え方が登場し始めた時期でした。当時の慶應義塾大学で教えられていたマクロ経済学は、IS-LMモデルやAD-ASモデルを中心とする、いわゆるケインズ経済学が主流でした。また、その時代はインターネットが存在せず、海外の動向を知るには専門雑誌が唯一の情報源でした。これらの雑誌は大学の図書館で読むことができましたが、掲載されている最新の論文でも、投稿時期が数年前であることは珍しくありませんでした。そのため、日本国内で専門雑誌を通じて最新号を読んでいては、経済学の進歩に数年遅れることになってしまうのです。慶應義塾大学の大学院に進学した当時、世界では合理的期待仮説をマクロモデルに導入する研究が進められており、それが最新のマクロ経済モデルでした。しかし、日本ではその進展を十分に知ることができず、さらに新しいマクロ経済学を教えてくれる教授も存在しませんでした。
そこで、私はアメリカへの留学を決意しました。合理的期待形成モデルは、その後「ミネソタ学派」と呼ばれることになることからも分かるように、ミネソタ大学を中心に発展していました。このため、私はミネソタ大学への留学を選びました。ミネソタ大学では、後に「四騎士」と称されるトム・サージェント、クリス・シムズ、エドワード・プレスコット、ニール・ウォレスがそれぞれマクロ経済学の各コースを担当していました。私の指導教官となったウォレス先生は、現在も85歳でお元気ですが、当時は40代半ばで、まさに研究に邁進している時期でした。他の教授陣も同様に、最前線で活躍している研究者たちでした。その頃のミネソタ大学経済学研究科は、世界中から研究者や学生が集まり、大変活気に溢れていました。そのような刺激的な環境の中で、後にノーベル経済学賞を受賞することになる先生方から直接指導を受け、経済学を学ぶことができたのは、私にとって一生の宝物です。
ただ、合理的期待形成モデルは、ミクロ的な基礎を持つマクロモデルであり、マクロモデルである以上、動学的なフレームワークを用います。また、期待を導入する以上、確率的なモデルとなります。このフレームワークは数学的に非常に難解であり、その複雑なモデルを大学院1年生のコア授業でいきなり教えられるため、学習には大変苦労したことを覚えています。1年次が終了する頃には、半数の学生がドロップアウトし、学生数は半分に減っていました。特に、1年生最初のマクロ経済学の講義では、いきなり無限次元の位相空間や関数解析の話から始まるなど、高度な内容が展開されました。ミシシッピー川の西側には経済学研究科の建物があり、東側には数学研究科の建物があります。数学研究科の講義を受講するため、私は1日に何度もミシシッピー川を挟んだ西側と東側を行き来していました。冬にはミシシッピー川が凍るほどの厳しい寒さが続きましたが、寒さに凍えながら橋を渡っていた日々が、今では懐かしい思い出となっています。
そのような厳しい指導の中で、自分でも納得のいく論文を仕上げることができました。卒業後は、国際大学、大阪大学を経て、母校である慶應義塾大学へ戻ることができました。慶應義塾大学では、私が大学院時代に受けた教育を基に、学生たちに指導を行うことができました。振り返ると、ミネソタ大学での経験が、私の経済学の基礎を形作っていることを改めて実感しています。

プロフィール

前多 康男 写真2

1982年

慶應義塾大学経済学部卒業

1984年

慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了

1990年

ミネソタ大学経済学研究科博士課程修了(Ph.D (Economics))

国際大学大学院国際関係学研究科専任講師,大阪大学大学院経済学研究科助教授・教授を経て2002年より現職

To Page Top