東京海上日動火災保険株式会社 相談役
樋口公啓
インタビュアー : 学部長 塩澤 修平
こうと思ったら、迷わず行く。自分の人生なんだから。
東京海上日動火災保険株式会社の相談役でありながら、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程に在籍中の樋口氏。その学ぶ姿勢の根源について、さらには、経営者の視点で見た経済学について伺った。
社会で活躍し、改めて大学院で学ぶ。
―― 現在、現役の大学院生でいらっしゃいますね。一度ご卒業され社会で何十年も活躍されてから、改めて学ぶというのは、随分と違いを感じられていますか?
「そうですね。大学院ではやはり勉強中心になっているということで一寸違った感覚ですかね。大学時代には、友人とのつき 合いにウェイトがあった。あまり模範的な塾生ではありませんでしたからね。マージャンばかりやっていてね(笑)。大学院の受験をする時に、初めてマルクス とかケインズとかを勉強してみて、当時やればもっと面白かったのにな、というふうにも思いました。あと、先生方から色々なお話を伺いながら、別の価値基準 で自分の中で反芻して考えてみる癖がついているように思います。先生方が言われることを、もう一回本を読み直してみたり、自分で考え直してみたりして自分 なりの答えを導き出すようにしています」
―― 教える教師も、学生たちも、社会で経験を積んだ方が入ってこられると、良い影響を受けますでしょうね。
「そういうプラスになるような学生でありたいとは思うんですけどね」
会社は社会の為に存在する。
―― 社会に出られて、経済学の重要性を痛感されたということでしょうか。
「そうですね、学生時代は会計学とか簿記とか商学関係を中心にやっていたように思いますが、会社に入ったあと若い頃に配 属された人事部では、いろいろと考えねばならなくなった。給与制度改革の仕事に回されたんですが、そこで『サラリーマンにとって給与とはどういう意味があ るのか』『給与制度とはそもそも、どういう意味があるのか』『労務管理とは何か』といったところから始まって『会社とは一体何の為にあるのか』といったと ころまで考えざるをえなくなった。それぞれに疑問が生じると、それに関連する本を読む必要が出て、仕事に関連していろいろな興味が沸き出してきましたね」
―― 企業として競争の中で存続するための経営と、社会的な使命との兼ね合いについては、どのようにお考えですか?
「会社っていうのは、社会の為に存在しているんですよ。社会の為に社業を通じて何らかの貢献ができなくなったら、会社は 存在している意義がないと私は思っているんです。利益だけ上げようと思ったら、我々の会社も損保は辞めて、資産運用だけで食っていったほうが、ひょっとし たら儲かるかもしれない(笑)。でもそれは、許されないことだと思うんですよ」
―― 確かに、最近一部では、本業が何で収入源が何かわからない企業が結構出てきていますね。不祥事も多いですし。
「私共も、外資系のコンサルティングファームに来てもらったりしたことがありますが、その方たちは口を揃えて『私たちは 会社の企業価値を上げるために雇われている』って言うんです。それで、『企業価値って何だ?』って聞くと『株価です、時価総額です』って答える訳ですよ。 私も色々な新興企業ともお付き合いして、今日は時価総額が何兆になっただの、次の日になったら何兆になっただの言っているのを聞きました。豆腐屋じゃある まいし…って思うんですよ(笑)。私共は、そういうことで一喜一憂するような経営は全く考えていないんです。経営理念とも哲学とも一致しないから、そんな コンサルティングは必要ないって思いましたね」
利潤追求は正しい。ただ、やり方の問題。
―― 経済原論などでは、企業は利潤追求であるということを説いていますし、経済学というのは、ある意味では誤解されやすい学問なのかもしれませんね。
「基本的に利潤追求というのは正しいと思いますよ。ただやり方の問題なんでしょう」
―― 十数年前のバブル期には、企業のメセナや社会貢献が、ある種のブームになっていましたが、その後の不況期にはかなり減少しましたよね。また最近経済全体が上向いてきて、そうした時に、企業は何を一番心して行うか、ということですね。
「一皮むけば儲かりさえすればいいという思想の方は財界にもおられるようですが、やはり利益だけを追求していたのでは、 会社は存続する意味がないと、私は思っています。今の時代にそれを強調すると、時代遅れだなんて言われたりもしますが、時代の問題ではない。古来君子と小 人の違いは窮した時にみだれるかどうかだと言われますが、今はみだれる人が多い。みだれていると気がついてさえいないのかもしれません」
先輩に楯ついたこともある。信念は曲げたくなかったから。
―― これから大学に入ろう、あるいは社会に出ようという人たちに、ぜひ伝えたいことは?
「まず、自分の頭でよく考えること。そして考える時には、狭い視野にならないように、いろいろな意見に耳を傾けて吸収し てほしいですね。その時点で、いろいろ学校で学んだ事が非常に役に立つと思います。もちろん実社会で学ぶこともありますし、勉強の幅が広がって行くに従っ て、いろいろな考え方ができるようになりますから。
そして、柔軟に物事を考えると同時に、ある種の頑固さを持ってもらいたいですね。私も若い頃、会社の先輩に楯ついたこともありました。自分の信念は曲げた くなかったので。でも、結果的には不利な扱いを受ける事もなく、とにかく社長にまでなった。とにかく、自分でこうだと思ったら、そちらへ迷わず行くという ことです。それで結果が悪かったら悪かったで仕方がないんです。自分の人生なんですから。人の言う通りにやって上手くいかなかったら、ますます悔いが残り ますよね。みなさんには、悔いのない人生を送ってほしいと思います。
塾出身の同僚が会社の生活はマラソンみたいなものだと言っていたのを思い出します。とにかく前を向いて寄り道や近道をしないでひたすら走っていく。気がつ いてみると一緒に走っていた人が一人消え、二人消え、最後は運よく転んだり、怪我しなければ一人で走っているというわけです。そういうものかもしれませんね」
経済学部を卒業後、社会で活躍され、さらに学ぶ意欲に溢れる樋口氏。「自分は学ぶ環境に恵まれている」と言って顔をほこ ろばせながらも、凛とした姿勢でインタビューにお答えいただいた。その姿勢は、「人の意見に耳を傾け、柔軟に思考し、信念を貫く」というメッセージを、ま さに体現されているようだ。
(2006年6月7日取材)
※プロフィール・職名はインタビュー当時のものです。
プロフィール
1960年 |
慶應義塾大学経済学部卒業 |
1960年 |
東京海上火災保険株式会社入社 |
1996年 |
同社 取締役社長就任 |
2001年 |
同社 取締役会長就任 |
2003年 |
同社 相談役就任 |
2004年 |
東京海上日動火災保険株式会社 相談役(現職) |
2005年 |
慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了 |
2008年 |
慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程(在学中) |