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教員インタビュー
宇 振領 写真1

教授 宇 振領
日本語日本文化

日本の真の強さの在り処
-日本の大学教育現場で見たこと、考えたこと

1988年9月、私は大連外語大の教職を止めて、自分の日本語力を高めるため、日本で何年か留学した後、また大連外語大に戻り、日本語教育に尽力するという考えを持って、また近代(アヘン戦争以後)に入った後、なぜアジアでは日本だけ列強と肩を並べることができたのかという疑問を解くために、日本にやってきました。

1996年慶應義塾大学経済学部の専任教員になったので、大連外語大に戻ることを止めましたが、日本はなぜアジア唯一の列強になったのかという疑問が残っていました。私の日本在住はいま28年目に入りましたが、自分の長年の謎解きの結果を敢えて、この場を借りて、述べさせて頂きたいと思います。

  1. アヘン戦争(1840)、清王朝の敗戦をきっかけに、列強は清王朝で利権を取るために、我先にと東アジアにやってきました。清王朝の無残な姿を傍で見ていた日本は、幕府体制のままでは、列強に対抗できない、第二の清国になりたくない、そこで明治維新を敢行し、「廃藩置県」「四民平等」「戸籍制度」「徴兵制度」など、福澤諭吉先生が言う「外の文明」を実施しました。
  2. 幕府時代までの日本は自給自足の農業社会で、ほとんど不足なものがなかったが、西洋列強に習い、産業社会に軌道転換をしようとした時、地下資源が乏しいという弱点が露顕しました。当時、弱肉強食の時代だったので、日本は「日清戦争」で清国を破り、さらに「日露戦争」でロシアに勝ったことにより、列強入りの政治目的を達成しました。
  3. 明治政府は「教育振興」を通して、西洋文明の受容と普及、人智の啓発、人材の養成、人心を根底から一新する、福澤諭吉先生が言う「内の文明」を実行し、日本国民全体の素質を高めました。日本は地下資源が乏しいですが、教育を受けて、専門知識を持っている日本人という人的資源を教育により作り上げました。
  4. 産業革命以後、機械力の利用で、大航海は冒険者の冒険行為から脱皮して、海運という実用の交通手段になっています。日本は自国の立地条件をうまく利用し、周辺国から廉価の原材料を仕入れて、専門知識を持つ日本人技術者は「殖産興業」、その原材料を商品にし、MADE IN JAPANというネームバリューで海外販売をする、福澤諭吉先生の宿願「貿易立国」を実現しました。
  5. 日本の強さは、また日本独特の地理環境、及び日本特有の民族構成、歴史、文化伝統により醸し出した日本人の「団体主義」「勤勉」「真面目」「謙虚」「恥文化」などによるところも大きいと思います。
  6. 日本は外国語教育を重視しているのも、対象国の言語を習う同時に、その対象国の歴史、文化、風俗習慣などの把握は言うまでもなく、新しい動向などをいち早くキャッチし、「彼を知り、己を知り」の姿勢を取っています。
  7. 第二次世界大戦後の戦後再建、日本は戦争の廃墟からハイスピードで立ち直り、一躍世界第二位の経済大国にのし上がった原因は、敗戦にも関わらず、専門知識を持っている日本人が健在だったからです。

結語:日本の真の強さ、その強さの主な原動力は教育をきちんと施したことにあると思います。明治維新後の「教育振興」、知識重視思想による恩恵は現在まで続いています。前世紀の「鉄は国なり」から、世界はいま「ハイテクは国なり」?の時代になっています。教育の大切さがより重要な位置を占めるようになっています。
私は長年日本に住み、自分の疑問を解きつつ、自分の納得したこと、自分の知っている真実を、授業を通じて学生たちに伝えてきたつもりです。その思いが学生たちに届いていることを願ってやみません。

(2016年1月取材)

プロフィール

宇 振領 写真2

1982年

天津南開大学外国語学部 日本語日本文学専攻卒業

1984年

大連外国語学院日本語学部 就職

1988年

来日

1992年

早稲田大学大学院文学研究科 修士課程修了

1996年

早稲田大学大学院文学研究科 博士課程単位取得満期退学

1996年

慶応義塾大学経済学部助教授を経て、2002年より現職

2002年

米国UCLA大学東亜研究センター一年間 訪問研究員

2012年

中国復旦大学歴史学部一年間 客員教授

2016年

定年退職

※プロフィール・職位は取材当時のものです

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