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教員インタビュー
後平 隆 写真1

教授 後平 隆
フランス文学

来し方を振り返ると…

経済学部での30年におよぶ教員生活を振り返ると、脳裏に浮かぶのは、あれこれの思い出より、むしろ現在の学生気質に抱かざるをえない危惧の念です。卒業後は世界各地で働く学生も多いであろうに、これで大丈夫なのだろうか?
日吉キャンパスで相手にする学生のほとんどは未成年者です。かれらに年長者の知識や教養を求めるのはそもそも無理な話、それが得られないから「これで大丈夫なの?」というのではありません。ぼくが慶応義塾の文学部に入学したのは三島由紀夫が自決した年です。あの頃の自分自身の知識や教養の程度は、今の学生たちのそれと大同小異でしょう。でもあれから45年経ちますが、当時の同じ年齢の学生と目下の学生との違いはやはり明確にあるように思います。退職のときを迎えても気になるそのことをちょっと書いてみます。

当時フランス文学科のある授業で、先生が言いました、「慶応の学生は三田のキャンパスを歩いているだけで、自由な校風のなかで、“近代”というものを感得し、それに染められていく。こういう大学は他にない」と。フランス近代詩人の研究者で、フランスのこともよくご存じだったその先生にとって、それは実感のあるものだったでしょう。「近代」云々はともかく、20歳のぼくに実感できたのは、慶応が自由な学校であることだけでした。学生生活上の規則があることなど、普通の生活を送っている身にはまったく感じられないし、好きな本を読んで、フランス語の習得に励む毎日を送るだけですから、たしかに自由に違いなかったのです。これが先生の言う「近代」なの?という疑問さえ浮かびません。でもそれから数年後パリ高等師範学校で寮生活を送るようになったとき、そこと慶応とふたつの学校のあいだにギャップがあるとは、まったく思いませんでした。「近代」がフランスを核とするヨーロッパで生まれたものならば、慶応義塾にはそれがあった、すくなくともその雰囲気に包まれていたのは本当だったのでしょう。その自由な近代の雰囲気のなかで、教室によく出てくる学生もそうでない学生も、知的好奇心に溢れて、よく勉強していました。

留学から帰国して3年後に経済学部に奉職してフランス語を教え始めました。学生はよくできました。頭がいい、という印象でした。フランス語の試験問題など、並みのものでは全員が最高評価をとりますから、これならどうだ、とばかりに難問を揃えます。でもほとんどの学生がこなします。それならば、ということで、邦訳のあるフランスの小説や評論を5、6冊指定して長いレポートを書かせ、その出来栄えをフランス語の評価に反映させることにしました。「どうしてフランス語の試験なのに、小説や伝記や歴史の本を読まなければならないのですか?」などと文句をいう学生は皆無でした。外国語を学ぶ人が、その国の文化や歴史に興味を持たず、知識もない、などということではだめでしょう?と一言断るだけですんだのです。今でも覚えているのは、ユゴーの長編『レ・ミゼラブル』を読み込んで、経済学的な観点から50枚のレポートを仕上げた学生がいたこと。こういう読み方もあるのか!とぼくは意表を突かれ、感嘆しました。

そういうことが10年ほど続いたあるとき、「なぜ本を読まなければならないのですか?」という声があがりました。はじめは遠慮がちに発せられた抵抗の小声が、「絶対にいやです!」の合唱に高まるのに時間はかかりませんでした。
そのころからではないでしょうか、教員の口から「最近の学生はものを知らない、知的好奇心にかける、意欲が感じられない」というせりふが多く聞かれるようになったのは。そしてその全般的傾向は年を追うにつれ顕著になっていっている気がします。もちろんそうでない学生が何割かはいるだろうし、いなければ困りますけれども。
現在の学生は大変だなあ、と思います。若いうちから様々な分野をカバーする知識と教養を求められる。キャンパスを包む「近代」の雰囲気に浸るだけではすまない時代になってきました。今後の慶應義塾に生きる方々の健闘を祈るだけです。

(2017年1月取材)

プロフィール

後平 隆 写真2

1974年

慶応義塾大学文学部卒業

1984年

パリ第8大学大学院博士課程修了 Ph.D

1985年

慶応義塾大学大学院博士課程フランス文学専攻修了

1987年

慶応義塾大学経済学部助教授を経て1997年より教授

※プロフィール・職位は取材当時のものです

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