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キャリア
塩川正十郎 写真1

元財務大臣 塩川正十郎

インタビュアー : 学部長 塩澤 修平

親父が「慶應へ行け!それも経済だ」って言うから、ああそうか、ってね。

塩爺(しおじい)の愛称で人気を博した、塩川正十郎氏。慶應義塾大学経済学部を60有余年前に卒業後、一般企業を設立。その後財界へと進まれ、各大臣を歴任し、今なお各方面で活躍されている塩川氏を、経済学部長 塩澤修平が訪ねた。

経済学部を選んだ理由は非常に簡潔なものだった。

―― これまでの大臣の政策等を見ていますと、なんかこう生きた経済に立脚した視点が非常に感じられるんですけれど、その基盤となっている経済学を学ぼうと思われた理由は、なんですか?

「いや、私はね、親父が慶應へ行けっていうから、ああそうか。みたいなもんで決めてしまったんですよ(笑)。私としては、みんな集団で田舎の高校に行くと思ってたんですね。ところが、親父が『そんな田舎の学校へ行ったってしょうがない。都会の、それも慶應へ行け』って、願書まで取ってきてね。当時、私は慶應も早稲田も知らなかったんですよ。それから、学部は何処にしようかと悩んでいたら、また親父が『慶應へ行くんだったら、経済じゃないか。それ以外は、あかんぞ』って言うもんですから、学校も学部も非常に簡単に決まってしまいましたね」

勉強だけでは得られない遊び心まで教えてもらった。

―― それで、実際に入学されてからは、どんな学生生活でしたか?

「学部では、高橋誠一郎先生(第8代塾長)のお話は良く聴講しました。あんまり学術的なことを、おっしゃらなかったのが良かったのかな。英国ではこんなことがあったとか、あんなことがあった、例えば英国の地主はどうしておったか、といった実際的なお話をされていましたね。『勉強』というのではなく、『お話』でしたね」

―― 古き良き慶應の先生方っていうのは、非常に幅の広い方が多かったですよね。

「話が面白かったですよ。講義がね」

―― あらゆる面で精通しているというか、それがある種の経済学部の伝統のようですね。非常に狭い学問ではなく、幅の広い学問であると思うんです。

「そうですね。これは、ある先生の話なんですが、その先生は銀座でバーを経営されていましてね。そのバー、入ってしばらく行ったところが一段低くなっているんですよ、中は真っ暗でね。初めて入った人は、そこでガーンとつまずくんですよ。それをこちら側で見ていて『あ、これは一見さんだ』って、すぐにわかるんですよ。そうすると入り口の女性が『予約で一杯ですよ』って断るんです。僕は、その時コツを教えてもらっていたので、合格しましたけどね。そういう遊び心まで教えてもらったな。その先生だけでなく、先生との付き合いは、みなプライベートな感じが多かったですね。その中で、いろんなことを学びました。よく先生のご自宅へ伺ったりしていましたね」

非常に頼もしく感じるのは女性の社会参加意識の高さ。

―― ご卒業されてから、慶應の良さを感じるのは、どんな時ですか?

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「大蔵三田会っていうのがありましてね、大蔵の国税局関係に塾出身者が425人もおるんですよ。いや、びっくりしましたね。私が大蔵委員をしていた20年前は寥々たるもんでしたから。ここ10年の問に急激に増えたらしいんです。経済産業省や国土交通省にも、ずいぶん塾出身者が増えているらしいですね。その中には、女性も増えていてね。これは、いいことだと思いますよ。その女性たちに聞くと、はっきりとこう言うんですよ『これからは共同社会の時代ですから、何か社会に参加したい。今は税金を担当していますが、将来は税理士をやりたいんです』とね。サラリーマンをしていたら、仕事の適・不適も出てきますし、人間関係も複雑だしね。税理士だったら、自分自身の力でやっていけるという理由らしいんですよ。非常に頼もしいですね」

―― 税に関しては、初当選以来ずっと税制調査会に携わっていらっしゃって、そこでは経済学はどのように生かされていましたか?

「慶應を卒業した後、中小企業を経て政治の世界に入っていますから、企業的感覚を持っていて、歴代の大臣とは違ったんでしょうね。役所の者たちが、そう言っていますね。大学では経済原論を、企業では生きた経済を学んだんでしょうね」

―― 学生時代には、何のために経済学を学ぶかっていうのが分からずに、社会に実感するものなんですよね。経済学は、全てに通じている学問ですからね。

「学生時代は、学問よりもハンドボールや登山に熱中しておったので、勉強の方はなかったんだけれどもね。今になって思えば「たまには勉強しろよ」と自分に言ってやりたいね」

現在は、東洋大学の総長もされている塩川氏。学生の教育問題や就職問題にも精力的に取り組まれている。企業に対しては、ワークシェアリングを提案。「若者に活躍の場を提供してほしい。海外へもどんどん行かせてほしい」という塩川氏の考えに、賛同する企業も着実に増えている。政界でも、教育界でも、高い問題意識を持って活動されている塩川氏の根幹には、非常に多様性のある経済学部に培われた、慶應魂が宿されているようだ。

(2005年5月26日取材)

※プロフィール・職名はインタビュー当時のものです。

プロフィール

1944年

慶應義塾大学経済学部卒業

1946年

三晃株式会社設立(代表取締役)

1964年

布施市(元東大阪市)助役

1967年

衆議院総選挙で大阪府第4区に自由民主党から立候補し初当選。

1980年

運輸大臣として初入閣(鈴木 善幸 内閣)
以後、運輸・文部・自治各大臣、内閣官房長官、党総務会長を歴任

2001年1月~
2003年9月

第1次小泉内閣で財務大臣に就任

2003年10月

政界を引退
現在は東洋大学総長、(財)関西棋院理事長、日本相撲協会運営審議会委員など、精力的に活動している。

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