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教員インタビュー
柳沢 遊 写真1

教授 柳沢 遊
現代日本経済史
現代日本社会史

私の研究生活―近現代の中小商工業者史研究―

1994年に赴任した私は、①在中国の日本人企業研究と②近代日本中小商工業者史という2つのテーマにとりくみました。①では、戦前期に大連に進出した日系企業と経済団体の活動についての研究論文を1990年代にいくつか執筆し、1999年に『日本人の植民地経験―大連日本人商工業者の歴史―』を刊行しました。この研究では、日露戦争後に中国の都市に移住した日本人商人がなぜ経営面で行き詰り、関東軍の満州軍事侵略を支持する社会的基盤になっていくかを課題とし、大連日本人財界の推移と経済団体の動向、戦時下から引揚げにいたる日本人商工業者の歩みを明らかにしました。赴任して2年後に、経済学部の「経済史」系教員によって「経済史のおける『停滞』と『没落』」というシンポジウムがおこなわれ、私は、「在『満州』日本人商工業者の衰退過程」という報告をおこなって、1910年代―20年代末にいたる大連在住日本人営業者の営業変遷についての実証的考察をおこないました(『三田学会雑誌』92巻1号)。この報告が、『日本人の植民地経験』を執筆するうえでの実証的な裏付けとなりました。また、大学院では、1995年度から「満洲の経済と社会」という新規プロジェク科目が編成され、松村高夫・田中明両教授とともに、中国吉林省社会科学院満鉄資料館との共同研究を、開始しました。満州の「大豆経済」のにない手、満鉄埠頭労働力管理の実態、満鉄の調査活動の「調査の水準」など、国際的な研究交流によって、日本での従来の研究を乗り越える研究成果を生み出すことができました。(『満鉄労働史の研究』『満鉄の調査と研究』)。経済学部研究教育資金などによる資金的バックアップにささえられ、毎年8月に、吉林省社会科学院の研究者との研究交流のために、長春満鉄資料館に出張しました。
私自身が、とりくんできた在満州日本人商工業者の研究と1995年から本格化した満鉄史研究は、当初は別個のものでしたが、資料収集と分析が進むと、私の学問世界のなかで両者は部分的に融合していくようになります。すなわち、満洲特産品の大豆を扱う商人について、本格的な調査が進み、その実態が明らかにされると、この特産物商人の窮迫化が有する固有の重要性に目が開かされ、「在満州日本人経済構造」の三層構造のうち、「中堅」的位置をしめる特産物商人を、満鉄がどのように把握していたかが、本格的に解明できるようになったのです。さらに、大連商工会議所会頭であった相生由太郎の事業活動も、満鉄の埠頭貨物の管理・運搬事業という観点から位置づけられるようになり、日本人財界人の軌跡が明らかになりました。

②の「近代日本中小商工業者史」の研究は、遅々とした歩みを余儀なくされました。すでに、通商産業政策史の「中小企業政策」、由井常彦編著『セゾンの歴史 上』や商工組合中央金庫の設立過程の研究などの実績は、1990年代初頭に刊行されましたが、1995年10月には大門正克氏と「戦時労働力動員」についての共同報告をおこない(『土地制度史学』151号)、2000年代にはいると、「戦後復興期の中小商業者」(原朗編著『復興期の日本経済』)、「川口市」(大石嘉一郎編著『近代日本都市史研究』)、「戦時体制下の流通統制」(石井寛治編著『近代日本流通史』)「東京における中小商工業整備」(原朗編『戦時日本の経済再編成』)などの研究成果を刊行できました。最近では、高度成長期の卸小売商業者・製造卸業者の研究をすすめており、東京の中小商工業者の歴史について4つの研究をまとめることができました。
以上のように、2本の柱を基軸にして自由闊達に研究活動に従事できたのは、慶應義塾経済学部のすぐれた学問的環境に恵まれ、同僚の学問への真摯な姿勢が大きな励ましとなったこと、優れた共同研究の仲間に恵まれたことによるものです。23年間に蓄積した資料をもとに、今後も元気に研究活動に邁進していきます。

(2017年1月取材)

プロフィール

柳沢 遊 写真2

1976年

東京大学経済学部卒業

1982年

東京大学大学院経済学研究科博士課程 単位取得中退

1982年

日本学術振興会奨励研究員

1983年

久留米大学商学部 専任講師(経済史担当)

1986年

東京農工大学工学部(一般教育部)助教授(経済学担当)

1994年

慶應義塾大学経済学部助教授

1998年

慶應義塾大学経済学部教授、現在にいたる

※プロフィール・職位は取材当時のものです

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