教授
林 栄美子
現代フランス文学、
写真史・写真論
自由な気風と自分で考える力
経済学部での教員生活の思い出
私は昭和36(1961)年に慶應義塾幼稚舎に入学して以来、平成27(2015)年3月に退職するまで、教師としては他校で非常勤講師をした経験はあるものの、なんと54年間もの時間を慶應義塾ですごしたことになります。とはいえ、慶應の外を知らないために価値観が偏ったり視野が狭くなったりしないよう、出来るだけ外部にも友人を作り、積極的にいろいろなものに触れるように努めてきたつもりです。
慶應で、学生としても教員としても長い間過ごしてきてきたなかで、私が感じる学内の雰囲気の特徴は、規則や義務で厳しく縛り監視されるということがなく、自主的に判断して行動するよう促される、自由な気風ではないかと思います。それはある程度優秀な人間の集合であるからこそ可能な、少々贅沢な環境であるとも言えましょう。しかし、学生としてその中にいると、自由で気楽なようでいて実は、自分をしっかり見つめて、自分のやりたいことを自ら探求し、自らを鍛えていかなければならないという、厳しい場でもあったのです。これをはっきりと感じたのは、やはり現代フランス文学の研究をしようと仏文科の大学院に進んでからでしたが、そこで何とか生き抜いていくことができたのは、塾の一貫教育のなかで、その過程なりにそうした環境を経験してきたからこそではないかと考えています。
そういうわけで教員になってからも、どういう授業の場でも、学生たちに自分で考えるように促し、思考する力を研く基礎を作るために学ぶのであって、教員はそのために何をどう学ぶべきかを示すのが役目であり、その先は自分次第であることを、ことあるごとに話してきました。考えるには知力だけでなく、感性のアンテナを磨くことを忘れてはならないことも。
そして、そういう場として最も活用できたのは、経済学部の「自由研究セミナー」という講座でした。これは、今ではどの学部にも設置されるようになった「少人数セミナー」の先駆とも言えるもので、私が就職する少し前から経済学部の日吉の先輩教員の方々が始めたものでした。私自身もその趣旨に賛同し、就職当時から今まで、フランス語の科目と共に必ず担当してきました。教員のほうも必ずしも自分の専門分野に直結したものでなくとも、興味を持ち続けているテーマを、学生と共に探究することが可能でした。私自身のセミナーでは、考現学的に都市東京を見るという一種の都市論から始まって、主に都市と写真の関係の考察、そしてこの10年くらいは写真とは何か、をテーマにしてきましたが、フランス語の授業においてとはまた違った、学生との出会いが数多くありました。友人ともっと様々なことを議論したり、意見交換をしたりしたいという欲求を持つ学生が、潜在的には結構おりまして、彼らにとっては刺激的な場となったようです。ただ飲んで騒ぐだけのコンパには飽き足らなさを感じるようなタイプの学生たちがこの講座に集って、夜遅くまで開いている店をみつけながら、夜を徹して(お酒も呑みながら)あれこれ議論し続けたことも何度もありました。無駄と思われるような時間を費やしながらも、自分で考える力を研く場となったことでしょう。こちらも体力も気力も充実していた時期ですから、次の日が朝から授業でないかぎりは、一晩中つきあったものでした。時の流れと共に学生たちの気風も変わり、こちらも身体が衰えて、そこまでやることはなくなりましたが、あのころの熱っぽい雰囲気を今でも懐かしく思い出すことがあります。こういう濃い目の雰囲気はあまり慶應的でないと一般には思われているようですし、今の時代の空気もそうしたことを避けようとするところがありますが、程度の差こそあれ、仲間ともっと突っ込んだ話をして、意見をぶつけあってみたいと望んでいるような手応えある学生は、今でもいると私は感じています。
さて私は、慶應を客観的に見るようにしてきましたので、慶應には好きなところもきらいなところもあります。しかし、幼いころから慶應にいただけに、一つだけどうにもしようがないのは、大学のスポーツを見るときは、野球やラグビーのみならず、やはりいつも慶應贔屓で、慶應を応援せずにはいられません。退職してからも、これだけは変わることがないだろうと思います。
(2014年12月取材)
※プロフィール・職位は取材当時のものです。
プロフィール
1977年 |
慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業 |
1979年 |
慶應義塾大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了 |
1982年 |
慶應義塾大学大学院文学研究科仏文学専攻博士課程単位取得満期退学 |
1983年 |
慶應義塾大学経済学部助手 |
1990年 |
慶應義塾大学経済学部助教授 |
1999年 |
慶應義塾大学経済学部教授 |