


教授
戸瀬 信之
数学(代数解析学)
経済学部の教員としての楽しい思い出
経済学部での教員生活の思い出について
慶應義塾に赴任して以来32年があっという間に過ぎてしまいました.その中で楽しかったことを順不同で書いてみようと思います.
2016年に慶應アルペンフェライン(KAV)の会長に就任して以来,楽しい山登りを生活の一部としてきました.2014年8月に2度目の剱岳登頂を果たしたことを講義中自慢した時にそれを茶化した学生がいました.証拠として提示した写真はこうすればフェイクとして作れるというのです.後にその学生M君がKAVの部員であったことがわかるのですが,会長になってほしいと2016年の春だったかに訪ねて来ました.引き受けて以降はKAV会長として同窓会組織の岳酔会の幹部の方にいろいろとお世話になったのですが,登山技術の指導もしていただきました.岩登りや沢登りはそれまでやってなかったのですが,部員と一緒に指導を受けて少し形になるくらいまでできるようになりました.指導をしていただいたOBの小川さんはKAVの総力をあげて実現したコンデリ峰(ヒマラヤ)初登頂のときに頂上に立った方で,本来ならば指導を受けるには畏れ多い方でした.私がKAVの会長として登った中で最も挑戦的だったのは東陵,通称ゴジラ岩からの北穂高岳登頂でした.この時はザイルでしっかりと小川さんにザイルでつながっていました.精魂使い果たしての登頂で下山時はフラフラだったのを今でも覚えています.M君がKAVとの最初の邂逅だったのですが,OBと話をして分かったことがあります.2012年に中学の先輩に連れられて当時高校1年の次男と一緒に雄山(立山)から雷鳥沢方面に縦走をしました.大走りというショートカットで雷鳥沢に降り始める少し前に雪渓で慶應の登山サークルが雪上訓練をしていました.それがKAVだったようで,不思議なご縁でつながっていたと驚いた次第です.私のFacebook Pageのカバー写真はその時に下山後雷鳥沢から撮った立山連峰です.
経済学部内で最もよく話をしたのは伊藤幹夫さんだったと思います.1994年頃に三田のネットワーク構築の仕事を一緒にしたのが最初の出会いだったのでした.その後、経済数学の本を一緒に書いたり,デリバティブ入門書やSPLUSという統計行列言語の本を翻訳したりしました.私が数学的な内容を解説した以上に,ミクロ,マクロ,計量経済学,統計学など様々な知見を教えてもらいました.これは特筆して感謝すべきことだと思っています.伊藤さんとの執筆活動の中で,大津君,中東君,野田君,前田君,和田君など伊藤さんの後輩との交流できたことも普通の数学者にはなかなかないことでした.普通の経済学者と違って伊藤さんは会計学,著作権などに詳しく,私が日本数学会の理事在任中ジャーナルの電子化を推進するのに大いに助けられました.
プロフィール

1983年 |
東京大学理学部数学科卒業 |
1985年 |
東京大学大学院理学系研究科修士課程修了 |
1985年 |
愛媛大学理学部助手となる |
1987年 |
東京大学理学部助手に配置換 |
1988年 |
東京大学理学系研究科より理学博士を取得(論文博士). |
1990年 |
北海道大学理学部専任講師,1991年助教授 |
1993年 |
慶應義塾大学経済学部助教授,1998年から教授 |
