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教員インタビュー
境 一三 写真1

教授 境 一三
ドイツ語教育学、言語教育学

シチズンシップ教育としてのドイツ語教育

経済学部での教員生活の思い出について

私は1997年に日吉に赴任して以来、25年にわたってドイツ語を教えてきました。ベルリンから東京に戻って仕事を始めた成蹊大学での8年間と合わせると、33年のドイツ語教員生活でした。

私は、学生時代は美学を中心とした哲学や文学を学んできました。そもそもドイツ語を学び始めたのも、哲学研究に必要だという理由からでした。しかし、ドイツ語教員として働き始めると、徐々にドイツ語教育学に関心を持つようになりました。

私が学生のころは、日本の大学にはDeutsch als Fremdsprache (DaF)「外国語としてのドイツ語」教育学を専攻できる大学はありませんでした(今でもその名称を冠した学科はありません)が、ドイツ語圏ではすでにいくつもの大学で主専攻として学ぶことができ、研究もどんどん蓄積されていました。日本の学校や大学で学ばれるドイツ語は、まさにこのDaF以外の何ものでもありません。しかし、日本のドイツ語教育は、残念ながらこのような最新の科学研究の成果に基づいたものでないことに気づいたのです。

私は、教員として遅ればせながらその分野を独学で学び、ちょうど慶應に移るころには、自分の専門分野を美学や文学ではなくドイツ語教育学(DaF)と定めました。(その後、徐々にそれが拡がって、今では言語教育学全般が私の領域と考えています。)DaFは、日本では新しい研究分野でしたので、研究者の数は少数でした(今もそうです)が、先輩後輩と力を合わせて、今日まで日本におけるこの分野の確立に少しでも力を尽くそうと考え、やって来ました。

私の主たる研究分野は、初期のころは Computer Assisted Language Learning (CALL) で、コンピューターを使っていかに言語教育を豊かにするかというテーマを追求してきました。(よくある、自動化による省力化にはまったく興味がありませんでした。私の考える教育は、手間暇がかかる、懇切丁寧なものです。)その成果の一つが、日吉第3校舎のCALL教室です。そこでは、インターネットに接続されたコンピューターを使いながら、グループワークを中心とした言語活動ができる外国語教育専用の教室を設計しました。

また、ヨーロッパの言語政策も研究対象としてきました。特に欧州評議会が提唱する「複言語・複文化主義」の研究で、それをどのように日本のコンテクストで生かしていくかを考えてきました。英・仏・西・露・中・コリア語などの先生方と共に研究活動を行い、外国からの労働力の流入に伴って多言語・多文化化する日本の中で、一人一人の生徒・学生の中で絡み合い、一体のものとなる複数の言語・文化をどのように養っていくかという研究を進めてきました。この過程で、多くの小学校、中学校、高校の先生と一緒に研究活動ができたことは、私の財産になりました。

同時に近年では、ヨーロッパの言語境界領域で2言語、3言語を使って生活をする子どもたちの教育の実態がどうなっているのかを、ルクセンブルク(ルクセンブルク語、ドイツ語、フランス語)、フランス・アルザス(アルザス語、フランス語)、イタリア・アオスタ(フランコ・プロヴァンス語、イタリア語)、イタリア・南チロル(ドイツ語、イタリア語、ラディン語)、マルタ(マルタ語、英語)などで、幼稚園から高校までを訪問して実地調査してきました。そして、明日の日本の言語政策に生かさなくてはならないと思ったことを口頭で、また文書で発信してきました。

それもこれも、こうした基礎研究の上に、日本の言語教育を豊かにし、子どもたちの目と心を内外の他者に開き、さまざまな言語文化的背景を持つ他者と共存できる社会の担い手に育ってもらいたいという一心からでした。もちろん、その願いは日吉の教室でも、私の教育活動の原動力になりました。開かれた心を持つ市民を育て、ヘイトのない平和な社会を作る一助としたいという思いで、シチズンシップ教育としてのドイツ語教育を行ってきたつもりです。

(2022年1月取材)

プロフィール

境 一三 写真2

1979年

東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業

1983

東京大学文学部美学藝術学科卒業

1985

東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専修修士課程修了、1989年同博士課程単位取得満期退学

1989年成蹊大学法学部専任講師、1990年同助教授を経て、1997年慶應義塾大学経済学部助教授、2000年同教授

※プロフィール・職位は取材当時のものです

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