教授
佐藤 空
経済思想史、社会思想史
他者と「出会う」ということ―歴史、思想、体験を通して
研究のきっかけ
高校生のとき、大学に入ったら受験勉強とは違ったワクワクできるような学問がしたいと思っていました。経済学部に入ったのはたまたまで、何の学問をすれば、自分の夢に近づけるか、いろいろと探しているような感覚でした。経済学では、入門科目で読んだジョセフ・スティグリッツの教科書、国際経済学を勉強しながら知ったポール・クルーグマンの収穫逓増モデル、などがとにかく面白く、繰り返し学びました。経済学は経済現象の解明を目指す学問ですが、それに留まらず人間の行動原理を解き明かそうとするものであると理解し、共感しました。ですが、勉強すればするほど、疑問もわいてきました。標準的なモデルに存在する「貧困」な人間観、社会観に違和感を抱き、困惑することが次第に増えていきました。
さまざまな分野の本を乱読するうちに出会ったのが科学者・哲学者マイケル・ポランニー(1891-1976)の「暗黙知」概念でした。還元主義を信奉するような、誤った科学主義が社会にもたらす害悪(全体主義、専制)を深く憂慮したポランニーは、要素への還元ではなく、むしろ要素(情報)の統合によって人文社会的な「意味」が生成される、と主張しました。冷戦下にあって、ポランニーは暗黙知の伝承という観点から、エドマンド・バーク(1729/30-1797)にみられるような伝統主義や英米の自由主義を擁護します。イデオロギーというよりも、知識論・認知論に対する関心からポランニーが肯定的に評価したバークやアダム・スミス(1723-1790)といった近代イギリスの思想を本格的に研究するため、イギリスの大学院に進学しました。
研究テーマについて
バークは保守主義の祖、スミスは経済学の祖と言われますが、ともに18世紀後半のイギリスを生きた同時代人です。アイルランド出身のバークは、カトリック教徒などに対する迫害を批判し、宗教的寛容を説きました。東インド会社によるインド進出をめぐる問題では、国会議員として、現地民への圧政を批判、ヒンドゥー教など現地の宗教も高く評価し擁護しました。宗教的寛容を支持したのはスミスも同じで、両者はともに各国・地域ごとに多種多様なかたちで存在する(宗教も含めて)生活様式に対する理解なしには、安定的な統治や社会の繁栄は見込めないと考えていました。宗教改革後の凄惨な紛争などに対する反省をもとに思想を構築した啓蒙知識人の姿を看取することができます。
現在、こういった思想史研究を軸としながら、「他者」を主題とした研究をしています。フランス革命を批判して「保守主義者」とみなされたバークですが、アイルランド出身であるためにしばしば揶揄の対象とされながら生き、国会議員の立場からインド社会・文化への共感を示しつつ、最晩年まで東インド会社による圧政を弾劾しつづけました。人類のあいだに存在する多様な国制や生活様式の意味を考え続けた人物でもあります。
バークについての研究は、さまざまな人種や日本と異なる生活様式のなかで暮らしていた自分自身の留学体験と重なり合いながら、進展していきました。渡英してまもなく、自分がヨーロッパ人とは言語はもちろん、姿も習慣も異なる「異邦人」であることを強く認識しました。言葉が十分に出来ない苦しさ、非ヨーロッパ人である事実そのものよりも、そのように見られることの辛さをしばしば感じました。同時に、人種・国籍など多様なバックグラウンドを持つ人びとが集う大学や地域のなかに大きな楽しみを見出しました。さまざまな文化と差異を観察しながら、日々発見があり、肥やしとすることができました。例えば、笑顔一つとっても、文化や人によっていろいろな表情があるということ。小さな気づきの積み重ねが自分の世界観を変えていきました。大学院の指導教員や非常勤チューターとして日本語を教えた自分の学生さんたちからも多くを学びました。日本語学科の学生さんは3年生から1年間、日本に留学するコースになっていましたが、留学を通して語学だけでなく、日本文化についての理解が格段に向上します。指導教員の一人だったハリー・ディキンソン教授は、卓越した歴史家であるだけでなく、きわめて優れた教育者で、英語が不十分な私を常に人格的に扱ってくれました。世界中に多くの教え子がいる先生から研究者・教育者としての姿勢を学びました。
このような体験から、人権とは概念として知っているだけでは不十分で、知性に体験が伴わなければ、「他者」の尊重につながらないことを痛感しました。現代に人権を否定するひとはほとんどいないでしょう。ですが、知識として知っているだけでは容易に他人を「モノ」扱いしてしまい、しかもそのことに気づかない。知性のある人びとのなかに、そのような人が散見されるのはなぜか、やや陰鬱な気分になりながらも考えてきました。
著名な政治思想史家のJ.G.A. ポーコックは、歴史を研究することは他者を「発見」することだといいます。そして、彼が学界に普及させた「シヴィック・ヒューマニズム」という思想は、アリストテレスの『政治学』を起源として、平等(対等)な市民が公共善のために、政治的な活動をする姿を描きます。ポーコックによれば、18世紀に市場社会が発展すると、「商業ヒューマニズム」という代替的な思想が登場します。政治ではなく、経済活動を通した「社交」を通して人格を洗練させるという考え方です。その中心人物の一人が経済学を創始したアダム・スミスでした。スミスの『国富論』は有名ですが、もう一つの主著『道徳感情論』の冒頭には次のような言葉があります。「人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、明らかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心をもち、他人の幸福を […] 自分にとって必要なものだと感じるのである」(水田洋訳、岩波文庫; 堂目卓生『アダム・スミス』中公新書, 27-28頁)。「利己心」へのスミスの着目は「ホモ・エコノミクス」という概念として経済学に取り入れられてきました。他方で、「他者の幸福」が自己にとっても「必要」である、というスミスの洞察は長らく経済学のなかで忘却されてきたように思います。「他者」の行動や状況を観察し(ポランニー的にいえば、情報の諸要素を統合して)、「共感(肯定)」すべきものか判断する。スミスは経済活動が活発化した近代社会にふさわしい人格とモラルの形成過程を考察しました。
学生へのメッセージ
一般的にいえば、思春期(青年期)の課題とは「自己が何者か」を知ることでしょう。それに対して、それ以後の人生の課題とは「自己」だけではなく「他者と出会う(について知る)」ことではないでしょうか。仕事(ビジネス)、地域、家庭、海外といった広い世界の中で多様な人たちと交流する。それは楽しいこと、建設的なことばかりではありませんが、各人の小さな「体験」のなかで「他者」の価値を見出すことができれば、それは他者を尊重することや(スミスのいうように)自らの幸福にもつながっていくでしょう。思想史が紡いできた言葉の含意について学生の皆さんと考えていきたいと思います。
プロフィール
2007年 |
一橋大学経済学部卒業 |
2013年 |
エディンバラ大学大学院修了(PhD) |
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター特任研究員を経て、2017年東洋大学経済学部専任講師、2020年同大学経済学部准教授。2023年4月慶應義塾大学経済学部准教授。2024年4月より現職。 |